上野千鶴子の問題は、フェミニストという有り方が、ただの食い扶持になってしまったから。
私怨であることはまったく問題ない。むしろそういうものでなければエネルギーなどわいてこない。
「完全に私怨です」上野千鶴子はなぜフェミニストになったのか 若き日の恨みつらみは全部忘れない #プレジデントオンライン
世界を恨み、それを行動にして正していく、そこまでは本当にいい。
だがそれで一定の地位を得てしまい、もうそんな原動力も枯れ果てている。しかし食い扶持である以上、存在感を示し、定期的に論壇に登らねば今の暮らしをすることもできない。そんな不安だけに動かされているエネルギーに「世界をただそうする正義の美学」などあろうはずもない。美しくない。魅力がない。
シャアじゃないけど、今の千鶴子は
「なんで貴女はフェミニストなんです?」
「他に食う方法を知らんからさ、だから未だに旦那も貰えん」
っていうところにいる。アクシズを落として男を粛清する気力すら無いシャアなんてどうしようもないでしょうに(つまりZのシャア状態)
アクシズ落としが正しかろうが正しくなかろうが、魅力はあるのだ。強烈な意思の美しさというものが。
そしてもう一つ、
この本は傑作である。この本を企画編集した編集者はまさに編集者の鑑としかいいようがない。フェミニストとして名高い彼女に、娘同然の年齢の鈴木涼美をぶつけてえぐり出すという、意地の悪さ極まるが、これぞ羽織ゴロ文業の為せる技だ。
ここでえぐり出されたことで重要なポイントは「母になるのが怖かった。特に娘が生まれたら恐ろしい」と言ったことだ。
社会的存在として女というものを語ることはできる。だが、「そんなに女がダメな存在なら何故生んだ!お前が女として存在したから生まれてしまった。どうして私は女なんだ!私は女でいいと思っている!」みたいに、社会を通じず家族として1:1で女を問われたら答えられない…と、生々しく語っている。
プルツーじゃないけど
「私よ消えろー」
である。
いやガンダムってなんでも語れるよな便利だ。
脱線はさておき、今の千鶴子は、もう「枯れて」いる。
適当な問題に噛み付いて、まだ生きていることを示しているだけに過ぎない。ただの生物になってしまった。だからもう魅力がないのだ。
これは「発達障害には”女房役”が必要だ」のほうがいいんでない?
内容については、まあまったくおっしゃるとおりで。
「理解ある彼くん」も、言ってることはほぼ同じだ。
で、今回のツッコミは、この内容で、なぜわざわざ誤解されやすそうな「嫁」なんて表現を使ったのか?日本にはけっこう昔から、そういう役割にピッタリな言葉「女房」「女房役」があるではないか?
性別に関わらず、「七人の侍」でも勘兵衛の女房役として名高い七郎次、野球では野村、古田といった名捕手はよく名女房と言われた。政治でも表に出る政治家を支えた官房長官などに女房役というのはよく使われる言葉である。もとの意味はともかく、既にピッタリな言葉があるのにわざわざ反発をかう言葉を選ぶ必要はない。
そんなにアングラな物言いでもないだろうに。
だからフェミに着火しやすい【嫁】という隷属的な意味を想起させやすい言葉より、かかあ天下的な意味を想起させやすい【女房】のほうが通りが良かろう。
もったいない。
だから言ったんだ、基礎は誰が詰め込むのか?って
例の先生関連。
「子どもって本当に天の邪鬼だから、言うこと聞かないときは、ちょっと誘導の仕方を変えてあげると上手くいくよ」というのがメインのツイート。
(保育園の先生のお靴の仏話題も似たような話)
が、見事にガチが食いついた。
「子どもがお菓子お菓子とうるさいから、じゃあお菓子だけ食べてなさい!」って本気でやっちゃんだね。
まあ「それはやりすぎ!」って諭してたし、それはもっともで良いことなんだけど。
手軽に「子どもは天の邪鬼だから(ガミガミ叱るより)誘導の仕方を変えよう」ってのは、あくまで搦手やTIPSであって、それが教育の基本のように言ってしまうとこうなるんだよ。
ある程度、基礎となる対話がしつけが出来ていても、そりゃ駄々をこねるときもあればうまくいかないときもある。そういうときには役立つが、あくまで派流。それを本流のように教えてはいけない。
それが見事に出てきたので思わず書いた。
https://twitter.com/ShinShinohara/status/1466627828557172739?s=20
https://twitter.com/Hilomi130/status/1466624377446105089?s=20
基礎は誰が詰め込むのか?
最近、この先生の教育論ツイートをよく目にする。
たしかにうなずけるところは多々あって、そのとおりだと思うことも多いが、全般的にADHD的兆候はあっても、ある程度理解力が高く、基礎学力があって要領のわるい子にしか使えないノウハウというか
「そのための基礎は誰が詰め込むのか」
って事がものすごく欠落しているんで、そこが引っかかるんだよな。
「詰め込みをしつつも、気持ちに寄り添い伸ばす先生」ってことができる先生ってのはあまりいないんじゃないですかね?
「憎まれても、無気力人間を作る教育と言われても、詰め込める人」ってのはそうはいない。
たまたま、両タイプの養育を受けて上手く行っていただけのような気がする。
いまのところ、自覚的にそれを見せてくれているのは「ドラゴン桜」のスタイルだけなんじゃないかな?
https://twitter.com/ShinShinohara/status/1465232956188889095?s=20
物理によるジェンダー解決
「産み分け」という穏便なやり方は思いつかなかった。
まあ意図するところは同じ「男は間引け」だ。
物理による解決以外は、解決できないとおもうし、議論している人たちもそもそも解決したいなんて思ってないんじゃないかな?
理念や教育やスローガンでどうにかなることじゃない、って事を認めてしまったら、もうすることがなくなっちゃうでしょ。
「男なら死ねい!」男塾
お、タイムリーなツイートが2つ。
女子教育と女性の社会進出が少子化の原因だから少子化をダイレクトに解決したかったらこれらを抑制するしかない、という話をしたら、近代的リベラリストから所謂おリベラルな皆さんまでみんなブチ切れてきたけど、これ、要は「可能性の拡張と担保」が現代社会の至上命題であることを現してる話だ。
— 雁琳(がんりん) (@ganrim_) 2021年5月13日
本日、弊社を代表し、ジェンダー講座を受けてきました。大変勉強になりました。特に講師の方のこのセリフは胸に刻み、今後の職務に活かしていきたいと思います。 pic.twitter.com/lRPNO7OvOe
— 梁煥永 (@ryangoatbed) 2021年5月13日
この二つはね、セットなんですよ。
そうでないと効果を発揮しない。
「女をあてがえ」論に足りないのは「男は間引け」論
「女をあてがえ」論、弱者男性や非モテとまぜこぜになってはいるものの、国家論として一つの勢力にはなっているのだとおもう。僕はあまりに乱暴だし、女だったらそんなのゴメンだとおもうだろう。
まあ、僕は国家衰退よりも、地球存亡のために人口削減論者なのでどうでもいいのだが、もし国家のために「女をあてがえ」論をぶつのであれば「男は間引け」論がセットでないとそもそも物理的に成り立たないとおもうのだ
近代は精子が座り過ぎで弱体化とか電磁波とか環境ホルモンの影響で男が生まれにくい、自分の周囲でも女の子ばっかりで困ってる…みたいな話は実感として聞くのだが、ちゃんと統計ではあいも変わらず5~6%男が余ってるのである。生物そこまで急に進化したりしない。
「女をあてがえ」論が出生率を第一に根拠にするのであれば、出産適齢期が短い若い女のほうが数が少ないというのはハッキリしている。だから精神論以前に物理的に成り立たないのである。
今の状態はたんなる男余りである。そして男が余ってるからこそ女は高望みが出来、だが精神の満足と肉体の衰えのギャップでタイムアウトも発生しているのである。
そもそも男がなぜ多く生まれるかについては諸説あるが、病気に弱い、危険なことをするから死亡率が高い…ことを神様が見越して多めに生まれるようにしている…ってのがまあ定説だろう。
医学の発展や文明の発展でそこが崩れた。
まだ昭和のころは戦争や、危険な男子の遊び、高度成長下で安全を無視した産業のなかでたくさん死んでくれたが、平成頃からはそうもいかなくなった。
こうなると女が選ぶ立場が強くなるのはフェミニズムうんぬん以前に当然である。
常に適齢期男子が不足している物理的状態があってこそ、女をあてがえ論もなりたつ、というかそれ以前に女側が自ら「自分が余る」っていうことで尊厳を傷つけられる。
エロゲみたいに女100:男1はギャグだし、そこまでいけば諦め論のほうが優勢になるだろうから、女10:男9 ぐらいに保つのが適正だろう。クラスに一人ぐらいはジャイ子がいるはずだから、これぐらいだと「ああはなりたくない」という意識が諦めよりまさるだろう。
適正ないじめや差別は安定には寄与する(人権はともかく)ジャイ子を間引いてしまうと「焦らせる」ことができないからだ。ジャイ子は大切。だから女は女というだけで価値があり間引いてはならぬ。
モテル男はリスクテイカー型、っていうのはラブホの上野さんも言っている。タバコそのものはモテないが、タバコを吸うような男はリスクテイカー型だからモテる、というのはいたく説得力がある。
そしてリスクテイカー型は本来よく死ぬ…はずだった。その結果として未亡人だの行き遅れなどが「あてがわれ」て「死ななかった男」「死ぬような危険な仕事をしていない無難な男」というだけで弱者男性でも家庭を持てたのだ。
まあこのへんは昔の男女も家庭も「意識して」やっていたことではない。単にそういう状況になっていただけであって、これを”意識的”にやるというのは大変な苦痛を伴うだろう。
男の安全性を意識的に落としてなるべく自然死事故死病死してもらう…というのは責任が個人に降りかかるし、今から文化として実行するのは不可能に思える。
しかしながら、男側がリスクを取らずに「女をあてがえ」というのは虫が良すぎるし、よしんば国家繁栄のお題目が認められたとしても物理的に足りないのである。
何らかの形で、ある程度の人格と体格が形成される15歳頃までに、成人でもう一度”国家の責任として(責を生きている個人が負わない)”という担保をしたうえでの「間引きの儀」が必要になるだろう。
まあ、そうなったら、僕は間引かれる側なのは間違いないので、まだ今の非モテ側でかまわないというスタンスだし、そもそもが人口削減論者なので現在のままが虐殺なしに平和的人口削減でいいと思ってるのだが、
国家のために「女をあてがえ」論を打つならば「男は間引け」論をセットにするといいよ、というアドバイスはしたくなる。
それならば女性側もいくばくか飲み込みやすかろう。
追記:
男塾 小田島平八先生もそう言っておられる。