NHKは発想を逆転して、いっそ「NHKと契約しなければ、NHKしか映らない」ようにするほうが得策では?
もちろん、実現性が薄いヨタ話だよ。
ただ、「TVを設置したならNHKとの契約は必須」であり、一方で「NHKは公共放送なのでいざという時に見られないのは困るからノンスクランブルでないとダメ」というこの矛盾を両立させるには「TVという機械(無料放送を受信する装置)をアクティベーションするのがNHK」というスタンスがいちばんしっくり来るはずだ。
ただし、ノンアクティベーション状態でも
「NHKの公共チャンネルだけは映る。公共放送だから」
ならば、納得感はます。
これにより
1.NHKは公共放送なので全てで映らなくてはならない。
2.NHKと契約しないとTVとして(ほぼ)機能しない。
3.モニター用途、有料放送は無関係。
というのが矛盾なく成立する。B-CASの使い方としてもこれなら納得できるだろう。(繰り返すが世間の益としての良し悪しではなく矛盾の解消のみ)
たとえ支払いをしなくてもインフラとしてNHKの公共放送チャンネルだけは映らなくてはならない。これが本来の公共放送のあり方だろう。
民法だろうとなんだろろうと「NHKがアクティベーションした機械以外はTV放送(無料の)を受信する機械と認めない」「ただし、TV放送が最適限果たすべき義務だけはNHKが果たす」というスタイルだ。
つまり、NHKは公共放送を提供すると同時に「TV放送」をアクティベーションする組織になればいい。
現在のB-CASを使うカタチであれば、TVにはB-CASが付属しておらずNHK(の公共チャンネル)だけが映るという状態でTVは販売。
NHKと契約すれば無料放送分が映るB-CASカード(1契約1枚はあんまり不便なのでOffice365やiTunesの基準で、3~5枚ぐらい)が送られてくる。(もしくはネット経由で内蔵B-CASアクティベーション)もちろん支払いが止まれば無効になり公共チャンネルしか映らない。
有料放送しか見ない場合は、有料放送が発行するB-CASになる。NHKを経由すれば統合も可能だ。(この方法だとカード型よりネット経由の内蔵CASのほうが便利だ)
現在の技術との矛盾もなく、NHKのありかたとも矛盾しない。山奥でNHKしか映らないような地域であれば契約不要でも問題あるまい。
こうなれば、あの鬱陶しい代理人も不要だ。なんせNHKと契約しなければ娯楽として役に立たない機械を放置する人も少ないだろうし、家電量販店だって「買って見るにはNHKとの契約は必須」となればアナウンスをしてくれるだろう。
このやり方であれば、いまご家庭にある地デジTVのハードウェアについてもそのまま利用できる。今のB-CASカードで再契約まで映るチャンネルが変わるだけだ。追加コストは運用の部分だけだ。
サブスクリプション契約型に移行する中で起動とファイルの読み書きだけは未承認のWindowsでも出来るようになっているスタイル。Amazonプライムとかと同じ。これが今後NHKが目指すべき方向性だろう。
TVとはなんぞや、という定義からやり直し。
日本で俗にいう「TV」というのは無料放送のことであり、放送は無料ではあるが機械を設置して使用するのはNHKとの契約が必須であり有料である、しかしながら公共放送として無料でNHKは映らなければならない、という今のNHKの言い分を、現在の普及した地デジ技術で矛盾なく具体化すればこんなところになるだろう。
ただし、これによって「世の中が良くなるのか?」という点はあまり気にしてない。あくまで「矛盾の解消」であって、人民の公益として最大化する方法として適切なのか?という点についてはここでは考えない。
燃やしに行って燃え移っちゃっただけのビッグウエーバー
ヨッピー氏の火消しエントリ。
もう、秒速100usersさんの分析が当たりまくっていて、笑うしかない。
ヨッピー氏の火消し記事の二日前に書かれたエントリで、
この流れに非常に苛ついている。コレ自体が広告マンたちの宣伝ってことなのよ。これって人権問題の提起に思えるしそういう側面もあるけど、明らかに旧勢力の広告マン(岸勇希)をダシにした新勢力の広告マン(はあちゅう、ヨッピー)の宣伝じゃねえか。コレについてはヨッピーがコメントしてて、ようするにはあちゅう、ヨッピーで相談と振り付けをした上で計画的にやってるってことよ。
と推察していたが、実際その通りだったとヨッピー氏がゲロったわけだ。ご慧眼お見事としか言いようがない。
新勢力の広告屋がmetooの精神を深く考えず、「乗るしかない!このビッグウエーブに!」と嬉々として「これはバズる!」と旧勢力にガソリンぶっかけにいったまではよかったが、自分にも燃え移っちゃっただけである。
おうちまで燃えちゃった結果、伝説になったYoutuberが示唆するところは大きい。
「地主の権利は、略奪に発している。」カール・マルクス名言集より
世界には様々な資本があるが、やはり根幹は「有限である土地」の所有こそ、国家であり、資本家であり、支配の根源となるものだ。
支配=悪とは思っていない。が、せめて支配には責務が伴うべきだとは思う。土地の所有という根源の支配にはそれなりの管理責務を課すべきだろう。マイナンバーの登録必須、納税や連絡が取れなくなって一定期間が経つと(10年とか)で自動的に権利剥奪ぐらいはやらないと今後は立ちゆかまいに。
コスプレ学芸会しか作れない見込みならせめて笑いを取りに行け。低予算の漫画の実写化にむいているのは間違いなくコメディ。
見ただけで笑える…漫画の実写化でこの強みを活かせる原作を選んだところは強い。ミスマッチでもそれがまた笑いに+αされるなら、低予算でチープな作りもさらに強みになる。
漫画の実写化が悪いんじゃない。目的と方向性と手段が噛み合っているかどうかだ。
同じ低予算コスプレ学芸会でも、シリアスなシーンで吹き出したり興ざめするのはマイナスだが、内容で笑えるうえに、見ただけで吹き出すのは強みだろ。
※面白くてゲラゲラ笑うのと、あまりのできの悪さに笑うのとは違う。制作事情の調整だけがんばった結果できはすごく悪くて、それが悪評も評判のうち的に笑われるというのは本懐ではなかろう。それを持って「笑える作品」と一括りにするのは間違い。
ハガレンの名セリフは実写映画化によく似合う。
「つまらない」はいいけど、「つまらないなら作るな!」は厳しすぎると思うんだよね。作ること自体はかまわない。ただツマンネーとは言う。
ハガレン予告編は見た。
監督のツイッターも見た。
監督的に…矢面に立つなら、どうせなら、この決めゼリフぐらい言ってほしかった。それぐらいの原作ユーモアがあれば、ダメ映画でも笑って見られると思うのだが…
「よく見ておけ…これが漫画実写化を…原作とやらの領域を侵した咎人の姿だ!!」
「察してくれ…!」
察してくれ…なんか最高じゃないですかね? 言えない事情をなんとかわかって欲しい…エドの呻くようなセリフ。バッチリじゃないですか。
「漫画実写化の素材はこれで良いんだよね監督…」
「原作者の許可、低予算、規定路線キャスト、キャストのスケジュール確保なし、演技指導も不可、ダメ脚本、ダメスタッフ…あるのはプロモーションだけだ…だが、俺たちならやれる、そうだな?」
…錬成…失敗…
へんなキメラ出来た。
審判の門
中身はからっぽで印だけのこっている鎧etc…
全ての実写化を成功させられる賢者の石(ただし人命多数損失)
いや~これほど原作ネタで言い訳できる素材なんて今後そうそうないんじゃないですかね。原作パロの壮大な自虐ネタをかましてくれていれば…
いつも言っているが、漫画の実写化はお笑いだ。お笑いにしかならないところからスタートなのだ。そこから感動に昇華するにはそれなりにカネも時間も才能も必要になる。最初からお笑いでいける原作を選ばないなら大変なのだ。だから無理ならせめて笑わせろ。
ダメダメいう人の「タブーなしでの社会リメイクプランの話」が読みたい。
意見には同意するが、そこから先なにも展開がなくて読み物として面白みにかける。
普通にやったら、特にこれといって何もやりようがないのもわかる。
そもそも人口増になったとしても地球という器の限界がリアルに見えている以上(進化論や天文学的年数の話ではないという意味で)それすら延命にしかすぎないと思ってしまう。一人あたりの「健康で文化的な最適限度の生活」のハードルと必要な資源、資金、教育が高騰している以上、どうやっても破綻する。
そこで、荒唐無稽でも、縮小によるスリム化のために現役世代の負担になる高齢非生産人口や不採算地方を切り捨てましょう、キレイな姥捨て山、終了施設を作りましょう。そのために人権要項がこまるので憲法改正しましょう、とか、地方に公共ではインフラ整備しないとする非行政区拡大の実現とか、面白い話をしてほしかった。
まあ、そういうのは普通、立場のある人なら言えないので、だからこそ困っているのだけれども。
せっかくブログなんで、ここまで分析できる人に「タブーなしでの社会リメイクプランの話」を聞いてみたいというのはある。いろいろな制約を取っ払ったらどんなこと考えますか?ってのを。なるべく現状の制度は活かすとしてもここだけは変えないと無理だとかね。
ディストピアになるのはわかっているが、このテーマでどんな地続きのリアルディストピアSFになるのか気になるんだ。読んでみたいんだ。
格安でクルマゲットすることには賛成だが、若者+10万円の軽は釣りにして盛りすぎだの件
自分としても、クルマはコスパ悪い悪いの大合唱のなか、カーシェアとの金額比較記事を書いたりして「トータルでコストなるべく下げる方法もあるし、なにより所有することにより運転技量があがり、結果としてカーシェアなどももっと活用できるようになる。一度は所有して2万キロ、できれば5万キロの運転経験を積もう。損はしないはずだ。それから手放すかどうかはあらためて考えるのが賢い。」という趣旨では記事を書いてきた。
ただし、「トータルコストは2万キロで安くても100万円」とも書いてきた。
これを10万円とPRして釣ろうとしたところに元記事の無理がある。おそらく元ツイート主も趣旨としては自分と同じようなことを思っていたのだと想像はできる。だが盛りすぎた。
10万円の格安車を使いこなすにもまた、それなりの運転、所有経験が必要なのだ。車の状態をしっかりセルフでチェックするにはそれなりの知識と技術がいる。
そのための経験を積むには、やはりよほど環境に恵まれない限り、2万キロ100万円1000時間という相場ラインが出てきてしまう。旅客機や戦闘機のパイロット育成には数億円数千時間かかるというのとおなじく、自動車ドライバーなら、2万キロ100万円1000時間が一つの目安だと思う。(数字はイロイロ変動するから、あくまで分かりやすい単位にしているだけということは理解してもらいたい)
1時間1000円のトレーニングを1000時間積む…実質的なコストを全部積み上げていくとそれぐらいになってしまう。(親の車をタダで乗り放題とか家の環境があればできるが、それは単にそういう環境にいたと言うだけでコストが消えているわけではない)
カーシェアだって大雑把にはそれぐらいの価格になっているはずだ。(15分200円とかが多いが)。カーシェアのコストは見えやすいが所有するのとそれほど変わらないというのはそういうことでもある。所有するということは予約無しで専有できるオプション付きということでもある。僕が主張する所有というのは手放す前提であれば予約不要専有オプション付カーシェアという扱いで、所有とカーシェアをコスト比較するということだ。
自動車ドライバー育成というのはお手軽ではない。高いのだ。教習所の単価はもっと高いはずだ。
まあ義務教育の授業だって全コストを見えるように積み上げたらそれぐらい、いやもっとかかっているとは思うが。
それを当然のスキルというように個人負担で要求する社会というのもどうかなとは思うが、現段階でそれを解消することは出来ない。それでも欲しいかどうかだ。
できるだけ安く抑えてもせいぜい専有オプション付カーシェアぐらいの価格にしかならないが、それでも僕は値打ちはあると思う派というだけだ。
クルマというのは、今の世の中では知れば知るほど安くあげられるようになる面もある(限界はあるが)
(もちろん、誰にとっても、もっともっと安くなればいいとは思うが、それを実現できる世の中が実現できそうな見通しは今のところないと思う)
※補足
ちょっと誤解される書き方をしてしまったかもしれない。
2万キロ100万円1000時間というのは、諸経費を含んだトータル金額なので、たとえ所有せずカーシェアを利用したとしても運転に慣れる距離を走った頃には結果的にそれぐらいかかっているということだ。
しかし、理論上は可能であっても、実際問題、免許取り立てとかペーパーが所有しないでカーシェアだけでホイホイ車に乗ってこの距離をこなすのはあまりにハードルが高いので、むしろ所有したほうが同じ金額ならずっとこれをこなしやすいぞ(気がつけばだいたい越えているから)というのが本題。
だいたいクルマはカーシェアなり格安中古車なりで、安く使えるよ!という釣り記事に共通するのは「このハードルを過去の生活の中で超えてしまっていてそれを忘れている、もしくは意図的に無視している」ように見受けられるからだ。カーシェアカーを気楽に免許取得以降のペーパー&ペーペーがガンガン運転しているという状態は考えにくい。
そのハードルを超えるところから始めるには、10万円中古車もカーシェアもどちらも最適な手段とは思えない、ゼロスタートだと初期費用として50万円ぐらい(そこそこ程度の良い不人気中古車の場合)はかかるし、慣れるのは100万円ぐらいは気がつけばかかっているはずだ。
それでも他にもっと安くとなるとそれはその人の境遇次第、運次第としかいいようがない。家にあるひとなんかは気にせず使ってるし。
しかし、クルマ離れ論が対象にしているのはその人たちじゃないでしょ。ゼロスタートの位置にいる人達でしょ!?だってそうじゃなきゃ既に乗ってるんだから。
でも、ゼロスタートで100万円かかる境遇にある人が出しておいても、長い人生ではそんなに損はしない人が多いと思う、というのがこの記事の主張だ。