「田舎に住む」ということは、自分で自分の面倒が見られないと出来なくなるのが縮小の時代。

dobonkai.hatenablog.com

イケハヤランドのときにも書いたけど。

逆に考えると、クルマがあったおかげで、自由に通院や買い物ができたからこそ、住むのが難しい山奥にも自由に住みながら様々なサービス得ることができた、というのが過去の時代だと思います。

ただ、高齢になって運転や健康に不安があり、しょっちゅう町に出ないとやっていなけない人が、今後もインフラが整っていない山奥に住み続けることは困難になってくるというのが、これからの時代なんじゃないでしょうか?

少人数かつ広範囲の行政サービスを戦後~20世紀に整備できたのは「国民が若く、また高度成長期にあったからこそ、田舎にも広くサービスが行き届き、また自由に移動する手段を多くの人が持つことが出来たからこそ、山奥でも長生きできた」のであって、それができなくなったからといって今以上にサービスを拡大することなど、とても今後はできそうにない。絶対破綻する。

縮小の時代というのは、インフラやサービスの届く範囲を減らさざるをえないので、「自分の面倒は自分でみられる人しか、田舎に住む(≒健康で文化的な生活を営む)ことは出来ない」時代になってきたという事だと思っています。