「女をあてがえ」論に足りないのは「男は間引け」論

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「女をあてがえ」論、弱者男性や非モテとまぜこぜになってはいるものの、国家論として一つの勢力にはなっているのだとおもう。僕はあまりに乱暴だし、女だったらそんなのゴメンだとおもうだろう。

まあ、僕は国家衰退よりも、地球存亡のために人口削減論者なのでどうでもいいのだが、もし国家のために「女をあてがえ」論をぶつのであれば「男は間引け」論がセットでないとそもそも物理的に成り立たないとおもうのだ

近代は精子が座り過ぎで弱体化とか電磁波とか環境ホルモンの影響で男が生まれにくい、自分の周囲でも女の子ばっかりで困ってる…みたいな話は実感として聞くのだが、ちゃんと統計ではあいも変わらず5~6%男が余ってるのである。生物そこまで急に進化したりしない。

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「女をあてがえ」論が出生率を第一に根拠にするのであれば、出産適齢期が短い若い女のほうが数が少ないというのはハッキリしている。だから精神論以前に物理的に成り立たないのである。

今の状態はたんなる男余りである。そして男が余ってるからこそ女は高望みが出来、だが精神の満足と肉体の衰えのギャップでタイムアウトも発生しているのである。

そもそも男がなぜ多く生まれるかについては諸説あるが、病気に弱い、危険なことをするから死亡率が高い…ことを神様が見越して多めに生まれるようにしている…ってのがまあ定説だろう。

医学の発展や文明の発展でそこが崩れた。

まだ昭和のころは戦争や、危険な男子の遊び、高度成長下で安全を無視した産業のなかでたくさん死んでくれたが、平成頃からはそうもいかなくなった。

こうなると女が選ぶ立場が強くなるのはフェミニズムうんぬん以前に当然である。

常に適齢期男子が不足している物理的状態があってこそ、女をあてがえ論もなりたつ、というかそれ以前に女側が自ら「自分が余る」っていうことで尊厳を傷つけられる。

エロゲみたいに女100:男1はギャグだし、そこまでいけば諦め論のほうが優勢になるだろうから、女10:男9 ぐらいに保つのが適正だろう。クラスに一人ぐらいはジャイ子がいるはずだから、これぐらいだと「ああはなりたくない」という意識が諦めよりまさるだろう。

適正ないじめや差別は安定には寄与する(人権はともかく)ジャイ子を間引いてしまうと「焦らせる」ことができないからだ。ジャイ子は大切。だから女は女というだけで価値があり間引いてはならぬ。

 モテル男はリスクテイカー型、っていうのはラブホの上野さんも言っている。タバコそのものはモテないが、タバコを吸うような男はリスクテイカー型だからモテる、というのはいたく説得力がある。

そしてリスクテイカー型は本来よく死ぬ…はずだった。その結果として未亡人だの行き遅れなどが「あてがわれ」て「死ななかった男」「死ぬような危険な仕事をしていない無難な男」というだけで弱者男性でも家庭を持てたのだ。

 

まあこのへんは昔の男女も家庭も「意識して」やっていたことではない。単にそういう状況になっていただけであって、これを”意識的”にやるというのは大変な苦痛を伴うだろう。

男の安全性を意識的に落としてなるべく自然死事故死病死してもらう…というのは責任が個人に降りかかるし、今から文化として実行するのは不可能に思える。

しかしながら、男側がリスクを取らずに「女をあてがえ」というのは虫が良すぎるし、よしんば国家繁栄のお題目が認められたとしても物理的に足りないのである。

何らかの形で、ある程度の人格と体格が形成される15歳頃までに、成人でもう一度”国家の責任として(責を生きている個人が負わない)”という担保をしたうえでの「間引きの儀」が必要になるだろう。

 

まあ、そうなったら、僕は間引かれる側なのは間違いないので、まだ今の非モテ側でかまわないというスタンスだし、そもそもが人口削減論者なので現在のままが虐殺なしに平和的人口削減でいいと思ってるのだが、

国家のために「女をあてがえ」論を打つならば「男は間引け」論をセットにするといいよ、というアドバイスはしたくなる。

それならば女性側もいくばくか飲み込みやすかろう。

 

追記:

男塾 小田島平八先生もそう言っておられる。

 

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