ガリ版を知らない世代が、知らない世代にインタビューして改革に乗り出しているところでチグハグ感がある
そもそもなんで、役所は方眼紙に書類を書きたがるのか?
そりゃ、ガリ版時代には、方眼紙に下書きを書いていたからだよ。それを鉄筆で書いて印刷して配布。それが書類。
なので、まだインターネッツなるものがないぐらいで、「パソコンで書類を作りなさい」となったとき、本来想定されていたのはワープロソフトだったのだが、ワードの使いづらさ…というか日本的文章の作成との相性は良くなかった。なんせ原型がタイプライターなんだ。改行ひとつとってもキャリッジリターンとラインフィードの違いなんて日本語にはない。一行空けるか空けないかだけだ。スペルチェックもない。
が、それを理解できない人が大半だ。紙は不足すれば足せばいいのだ、という考え方からまず理解できない。どうしても学級通信みたいな文書や、枠を作ってからおさめるという文書イメージの思考ルーチンから抜け出せない。まあ「パソコンで作りなさい」と言った人からして理解してないから、書類のスタイルを根本的に変える必要があるなんてことにはまったく思いもしなかっただろう。
で、もれなくオマケで付いてきたエクセルを見た時に表計算という概念が理解できないジジババでも「お、これガリ版用の方眼紙みたいなじゃないか、これで外に枠をつければ枠がつくれるのか。中に文章も入れられるし、方眼の目を細かくすればピタッとそろえた書類が書けるしこれいいじゃないか」となったのは想像に難くない、というかそうだったよ(笑)
これがエクセル方眼紙の始まりだ。
そこから理解しないとこの問題は解決できない。書類とはこうタイプライターのようにシンプルに書いたので結構です、1ページにおさめようとしなくても結構です。なのでそのようにしてください、というところを意識改革しないと。
アメリカの書類とか見ると、ワードで書きやすい。なぜかって、ワードはタイプライターが原型にあるソフトで、向こうの公文書はワープロが普及する前からタイプライターで打たれていたからだ。そもそもHTMLタグだって、タイプライターの書式を記号化したものだよ。例えばこういう感じ。
すげえワードっぽいだろ?
つまり、書類ってのはこういう感じでいいんだ、枠かくな!枠!
ここから教育しないといけない。残念ながら学校教育がこうなっていないので期待できない。
さらに、改革に乗り出している議員がそこに言及しないということは、それを知らない世代なんだろう。なので、うまくルーツにある意識にたどり着けておらず、うまくいかないだろう。