「諸悪の根源」が存在するという意識はもっと害悪
まあ、確かにこのケースでは「根性論」が悪いんだろうけど、じゃあ根性論を撲滅すれば世の中良くなるかというとそうでもないだろう、ということは言いたい。
新卒で研修しているだけで、特に大きな仕事をさせるだけでもなく、ちょっとずつ作業に慣れてもらって、定時に帰ってもらって寮まで手配して全部面倒見て「とりあえず会社に毎日来てくれ」しか要求してない状況ですら「会社に行けない」といった状況で辞めた子もちょくちょくいるからね。さすがに「会社にとりあえず来てくれ」ぐらいはシステムじゃなく本人のメンタルのせいだろ、って言うぐらいは許せよ。
この「諸悪の根源」を信じている人ってのもけっこう厄介でね。それをなくせば全てが良くなるように思われるのは困るんだ。何事も「ほどほど」が大事。
防腐剤…着色料…保存料… 様々な化学物質 身体によかろうハズもない。しかし、だからとて健康にいいものだけを採る。これも健全とは言い難い。毒も喰らう 栄養も喰らう。両方を共に美味いと感じ血肉に変える度量こそが食には肝要だ。
今、耐えるべきなのかそうでないのか。
それに対する明確な基準など無い(とりあえず国の基準はあるが、それも天地天命の真理というものではないので)
なにか「ファイナルアンサー」が存在し、それに沿えば天国に行けるというのはあまりに宗教的だ。
漫然と口に物を運ぶな。何を前にし、何を食べているのか意識しろ。それが命 喰う者に課せられた責任。義務と知れ。
唯一の答えはない。常に自分が何をしているのかある程度客観的に意識することが重要、それから逃れ、何かの「真理」があると依存することは、奴隷社畜であれ、超ホワイト企業であれ、堕落すること。現業公務員とか見ればわかるでしょ。
アニメなど録画切る切らないの話(なぜ、けものフレンズを切らなかったのか)
けものフレンズ急に話題になっているらしいのだけど、あれ1話で切らないという選択をした人、どういう選択基準で見るアニメ残してるんだ・・・(5分で切った記憶があり、慌てて1話見たけどやっぱり何度見てもこれは切るよなあ、と思っている)
— chokudai(高橋 直大) (@chokudai) 2017年2月7日
切る、という表現は非常にキツイので使わないようにしている。(今回は切る切らないについて言及したいのでやむを得ず使っている)
まあ「これ以上の視聴継続を断念する」ってことだろう。
自分の場合は「保留する」ということにする。
幸いにしてnasneにしてもそれなりの録画容量があるし、AnimeLockerはMP4エンコードされれば100~200MB/30分なので、「2GB/1クール」であり、1TBあれば500クール分の番組を溜め込める。1クール50番組だとしても、10シーズン、2年分である。今は3TBですら1万円しない時代であり、1500クール/HDDである。
かような録画環境であり、1話でつまらなかったと思っても、即録画リストから外す必要はないのである。
あと視聴スタイルもある。
そもそもこれだけのボリュームを全部見るということはいくら好きでも不可能であり、「あたまから全部見る」ということは最初から諦めている。「1話からちゃんとみないといけない」という変な自己縛りを捨てることである。
全部録画されていれば、どうしても見たくなったら見れば良いのであり、つまみ食い的に見ることができる。
自分の場合、5話とか、下手すると最終回から、なんてこともある。
名作といわれる作品でも全話一つも残らず面白いか?というとそうでもないことも多い。傑作回、偶然なんとなく途中の回で見ても、後からどうしても頭から見たくなったら、それから見たって良いのである。
これだけの作品があれば、どうしたって「型」があるわけで、途中から見ても理解できることも多い。逆に言えば「理解できない、でも見たい!」という強い衝動が出てきてから見たくなったら、それはマイ名作なのである。
「けものフレンズ」に関して言えば、自分は1話は見ていなかった。nasneはなぜかエラーで止まっていて、AnimeLockerのほうには残っていた。3話ぐらいでケーブルカーが壊れている話を最初に見て「ああ、人類は衰退しました系かな?」と思っているうちにみるみる話題になっていった感がある。
というわけで「なぜ切らなかったのか」という問に関しては「そもそも最終回前に切るという発想がない」である。(さすがに全部は残せないので、最終回後もある程度の期間見ない場合は整理はすることはある)
途中から見ても、興味が出てから最初から見られる環境を整える、というのは実に快適である。
とはいえ、今はそれができる録画環境があるが、昔からそうだったというわけではない。
その場合に役に立つメンタリティとして、誰が「1話から全部確保してみていなければ語る資格はない」とでも決めたのか?である。
別に話題になってから、後半だけみてよかった、と思ってもよいではないか?それで気になって配信なりレンタルなり購入なりするなら、そのほうがよっぽど健全だと思う。
マンガの実写化が失敗しやすい理由にもう一つ根本的なことを付け加えたい。
まあ、そうだよね。このとおりだと思います。
一方で成功しているものもある。
だが、基本的に失敗する。
なぜか?
「マンガの実写化は、実写になった段階でギャグからスタートだから。」
もうね、マンガの格好をした役者が出てくるだけで吹く。
”多くの人気マンガ”で、頭身、パース、髪や目や肌の色、質感、スタイル…すべてが(多くの日本人の)人間の基準から外れている。
それ故にマンガなので、それを実写にした段階で破綻するわけ。
存在自身がマンガ、というレベルのスーパーモデルやスーパーマッチョの役者さんが数多くズラッと揃っていて、いつでもチョイスできるほどハリウッド級に役者を選び放題なら良いけど、それも無理。
もちろん例外もある。
原作の段階で、いわゆるマンガチックな絵じゃない、スケッチのような絵の場合だ。「月下の棋士」とか。
また、池上遼一氏に代表されるその系統の絵はある程度アジア人によせているので、ある程度のイケメン美女ならカバーできるかもしれない。
じゃあ、そういう原作を選べばいいのに、と思うが、そこからが元記事の理由でできない。
すると、どうしてもギャグからのスタートになる。
ジャニタレとアイドル揃えても、基本的にコスプレ学芸会からのスタートにしかならないわけ。
これを克服して名作に持っていくには
・マンガレベルのスーパーキャストを揃え
・マンガレベルの映像演出を例え予算がかかっても揃え
・短時間で見せるシナリオになるまで練り続け
…と「そんな予算あったらマンガやらんわ」っていう次元になる。あくまで低予算としてマンガ原作がチョイスされていることのほうが多いのだから。
一方で(興行的にはともかく評価として)成功している実写化マンガはだいたいコメディだ。
変態仮面、ピンポン、デトロイト・メタル・シティ、クロマティ高校…etc
これらは人間の役者で「あいつらがいる」それだけで笑えるのだからかなり強い。コスプレ学芸会であっても、笑わせるのが主であり、それ自体が笑いなのだからマイナス要素が少ない。もちろん原作としてコメディを選ぶということは、逆にマンガと実写の違いを「活かす」ことに意識があるスタッフの可能性が高いから、よけいにブーストがかかる。
こち亀等は、作りは元記事のいう「業界の都合」バリバリであったが、原作がギャグよりのため「駄作ではあるが許される」ぐらいの範囲にかろうじて収まったと思う。
耽美&シリアスな原作を実写化することが悪いのではないが、もともとハードルが高いのに志は低く、芸能の都合だけでやるのだから、そりゃ失敗するに決まっている。
※今制作が決まっている範囲だと「聖☆おにいさん」はよさそうに思う。
このカーシェアとの比較に若干修正を加えてみるよ!
こういうデータはイイね。
うちの場合は、年間8000kmぐらいなので2016年データを引用すると、カーシェアでスイフトクラスに年間8000km乗った場合は、年間35万ぐらいらしい。
新車で購入した場合は(車体費用や駐車場を含めて一例としての総額)年70万円ぐらいになり、でカーシェアとの差額35万ぐらいというオハナシ(一例であるが)
で、比較となる所有した金額だが、これはもうちょっと安くできる。一般論とはいえ、カーシェアのススメの記事なので+方向にバイアスかかるのは仕方がないし、とりあえず一般的に危険のない範囲で切り詰めるとどうなるかを見てみよう(無保険とか路駐はなしで)この自分のエントリは所有側にバイアスを掛けていく例だ。
修正1.
で、比較データにスイスポを持ってくるのは良くないね。あれ50万ぐらい高いもん。年間10万押し上げる比較はマズイ。ちゃんとカーシェアリングと同じグレードのスイフト1.2(XG)あたりにしなさいよ。カーシェアでスイスポは絶対ないだろ!あと、1.6Lは税金的には2Lクラスと同じになり、自動車税が5000円高い。また重量税もスイスポはワンランク高い。カーシェアで使われているスイフトと比較すれば大体年1万円高い(この例であれば)
なので本体価格は年間10万削減する。
修正2.
車検代。新車で購入した場合、まあ日本車なら5年は部品を(ワイパー、オイル除く)交換なくてもなんとかなる。5年5万キロというのが国内販売車の一般的な保証期間なので、この例ではピッタリ保証期間に収まることになる。タイヤ、バッテリーも一般的にはこれぐらいは持つ。俺はユーザー車検でやっているので、5年で2回、自動車税や重量税、自賠責は車検費用の例からは別計算で除かれているので、残るは検査料と印紙代、たしか1800円ぐらいだったはず。オイルとワイパーは毎年交換するとして、スイフトクラスなら5000円はしないので、スズキの愛車無料点検を活用し、整備台帳は自分で書けば良い。ちょい予備費をみて車検とメンテナンスパーツ代は「年間1万円」とし、年間-3万円する。
修正3.
カーシェアが長距離乗りの場合の値段なので、スイフト1.2XGのガソリン代、燃費11kmってことはない。16kmで行ける。なのでガソリン代は0.7掛けする。65500円
年間-3万円。
で、カーシェアリングと新車購入との差額が年間35万円ってことなので、-10万-3万-3万で、差額は年間19万円まで圧縮できる(大雑把なので20万円とする)これは年間8000km相当、スイフト1.2XGで走るなら、という部分のみで絞り出せる金額だ。
今時のクルマは10年ぐらいは持つし、保険ももう少し減らせるし、カーシェアリングの比較対象である1~1.5Lクラスのクルマはグレードも低いので購入価格を下げる手段もある。ウチのクルマはモロモロ諸費用OPコミコミで総支払額は130万円である。もう8年乗っていて、オイル関連とバッテリー、タイヤ、ワイパー以外は交換していないので年間均し1万円のコストで収まっている。つまり年額だと16万円であり、元記事の例より年額20万円安い!
うまくやれば年間差額10万円ちょいぐらい、月額1万円差ぐらいにまで縮められるはずである。ただし駐車場代は8000円で計算されているので、駐車場代が1万円を超えると差が広がることはいなめない。(ウチの例では元記事の人と近い立地の関東近郊で駐車場代はもう少し安いが8000円~1万という例は全国平均ではまずまずの例かと思うのでそこは修正しない)
つまり、月1万円余計に払えば、予約なし専有放題に近くなるのである。
もちろん、カーシェアリングは家からの距離とか使い勝手にもよるし、そもそもどれぐらい使うかによるので一概に言えないが、これぐらいの頻度(年間8000km)で毎週カーシェアリング使う場合との比較であれば、+1万円で所有という方法でさらに便利になれるよ、ということを示したかったのである。あと月1回ぐらい使えばトントンに近づき、あと月2回使うならほぼイーブンになりそうな勢いだ。もしクルマがない分をタクシーで月2回ぐらい補っているなら、それはカバーできる。
今回の元記事の使用条件の例の条件がかなりウチの例に近いので、下げられる部分を入れて比較してみた次第である。(純粋にウチの場合だと所有で8000kmで年間40万ぐらいじゃなかろうか?)
もちろん、全体的な価格そのものはやはり所収したほうがかかる。だが年間8000km使う人であれば、他のサービスでカバーしていた分や、予定外などで我慢していた分を+月1万円でカバーできるのなら、所有することもコストパフォマンス的にそれほど悪くないんじゃないかな?
※今の自分でやる場合の例、で一般化しない例でいいなら、基本中古車の個人売買でやっているので正直年額所有コストでは本体価格込で年間1万キロ走行の例で35万円を切れる(駐車場代と保険は同条件とした上で)車種に贅沢いわなければ購入は一般売り1.5Lクラスの3万キロ以内ので70万でなんとかできる。なので5年で均すとさらに年額-15~20万ぐらいできるのよ。つまり購入費含めてトータル平均で年30万以内ぐらいかな?ついに逆転。カーシェアってことは向こうも実質中古車だからね。程度は近い。カーシェアの場合は価格決定権は向こうにあるので、こういった「節約」はできない。ただし「故障」「破損」などの突発的出費もない。
ただ中古車価格はなかなか一般化できないので、新車を買った例が自分でもあったので、※は余談、補足として書いた。
ポッピンQ、残念だが満足した。なぜだか考えてみた。
ポッピンQ、見たんですよ。なんとなく。
宣伝みてもどういうアニメなのかまったくわからないけど、宣伝だけはやたら見たし、それなのに全然バズってないので、このネット時代にアレだけ宣伝した映画の話題がTLでなにも情報が流れてこないなんて、ますます興味が出たし、平日の夜にフラッと寄って見られるタイミング、なにより空いてたし。
もう、ホントこのエントリのいう通り。ぐうの音も出ないほどポッピンQの残念さを書き出している。
しかし、僕はコレ、とても満足したんです。
なんで満足できたんだろう。
1.とにかく遠慮なくかわいい
基本コンセプトとして「プリキュアのED CGダンスを存分に本編に使ってなにか作りたい」みたいなのがあったのだと思うんです。
そしてプリキュアと違うのは「デザイナーが今かわいいと思う絵柄を遠慮なしに出している」ということ。プリキュアはあんまりストレートに流行のかわいいを追求してしまうと、母親層に引かれてしまうおそれがあるため、どうしても若干「あえて流行の萌え外し」をやらないといけない事情があるのに対し、ポッピンQはそれがない。なので存分にかわいいをストレートに楽しめる。プリキュアの外し感が狙われすぎてなくて良いというのもわかるけど、プリパラとかサンリオ系の絵柄は遠慮なしなんでダメってことでもないはず(笑)
2.どうせわかりきった話ならダイジェストで良い。かわいい見せ場を存分にだしてくれればいい。
尺としては1クールぐらいだとキレイにスパッと入るボリューム感。各キャラクターはいわゆるテンプレなんだけど、テンプレだけに、仲良くなる過程とか、回想とか存分に入れて掘り下げたところで「はいはい、またいつのもアレね、展開読めるよ、ああやっぱりね」ってなるのが、ダイジェストなのでポンポン進む。
プリキュアだってテンプレ萌えアニメだってたしかに良いシーンはあるとは思うけど、それを見たいがためだけにわかりきったストーリーで一年とか一クールも付き合って見てられねーよ、ってところを説明係がスッと飛ばしてくれるので見たいところだけ見せてくれる感じ。悪く言えば雑、良く言えば「雑でもわかるでしょアンタラほんとうにそんなのチンタラ長くやってそれ見たい?」ぐらいには見るターゲットを信用してる。
3.つまりはできの良いストーリー付きライブビデオ(もしくはアイドルビデオ)
ダンスやライブ本番の前にストーリーが合ったほうがのめり込めるじゃないですか。僕は曲だけ聞いて音楽にのめり込めるタイプじゃないし、かといって学芸会だと大抵はそっちがタルすぎて見てられないのだけれど、ポッピンQはそこはソツがない。ストーリーはご都合的とは言えハイクオリティでポンポン進むし、だからダンスも楽しめるという、まことダンスのためだけにちょうどいい尺(≒退屈せず、盛り上げる程度にはキャラを理解できる)で各キャラクターのバックグラウンドストーリーと、さらに舞台も用意しました、というのがポッピンQ。
アイドルとかだとみんながあれこれそれまでのストーリーを膨らませて、今歌って踊っているところに重ねられるからライブで感動するとかあるけど、そのバックグラウンドもアイドルの名前もまったく知らない一見さんが歌とダンスだけみても、常連やファンが何に感動しているのかさっぱりわからないってところを、1本の映画にすることで見事に回避している、というところ。
1クールでも長い、バックグラウンドを調べるのも面倒、デビューから追いかけて体験に時間がかかるのも面倒、でも、かわいい女の子が歌って踊るのはスパッとみてのめり込みたいんだ、って層には刺さるだろう。いや実際刺さった。これぐらいのボリューム感、とってもラクに満足できた。
プリキュアだったら一年かかってようやく得られる満足感に本編と直接関係ないEDダンスになるところを、コミコミオールミックスでまとめて2時間で楽しめる。ポッピンQはそういう作品だと感じました。
※追記
足りない部分がすごくあるのは、元エントリの方の言うとおりでして、おそらく企画の段階ではあったのではないかという推測もありますが、そこをあえて【誰も知らない見せる前からダイジェストにして1本の映画にしてしまう】というのが意図的なのか結果的にそうなったのかはわかりませんが、それが「アリ」だったな、というのが感想です。しかしそれが「成功要素」「広くウケる手法」かどうか、という点については興行結果が物語っているんじゃないかと。
また、「足りない部分を足せば(1クールぐらいあれば)名作になり得たか?」については、なんともいえないです。よく出来てるけど退屈な話になったかもしれないし、OVAや劇場のTVシリーズ化は過去にも例があるので、「できてみないとわからない」としか。
プリパラ、ぐらい頭のネジが飛んでいればよかったのだけれど、プリキュアの文法で作ってしまったことが無理が出たのだろうか。楽しみ方としてはプリパラに近いのに、流れとしては真面目なプリキュアになってしまったゆえの歪。
マイナンバー 扱わなければ罰則なし。今のところは。
moriyama-law.cocolog-nifty.com
以前にも書いた気がするが、マイナンバーは扱いが難しい。なので「集めても個人と紐付けて保管しない。本人情報と番号のヒモ付作業は役所にやらせよ。番号と個人情報(氏名年齢住所生年月日など)は互いに参照不可で保管して提出せよ。」というのが理想だと言っていたが、もっと極端な結論が出ていた格好だ。
番号だけが漏れても、番号だけならそれがだれか全部から検索参照できるのは役所だけだ。なので実害が少ない。
が、最初から扱わない、がOKとなれば、それが一番だ。
が、いつまで続くかはわからない。で、とりあえず「集めることは集めたが、それが誰かは役所さん検索して別に提出する書類とのヒモ付はやってね。」というのが第二弾だ。
ガリ版を知らない世代が、知らない世代にインタビューして改革に乗り出しているところでチグハグ感がある
そもそもなんで、役所は方眼紙に書類を書きたがるのか?
そりゃ、ガリ版時代には、方眼紙に下書きを書いていたからだよ。それを鉄筆で書いて印刷して配布。それが書類。
なので、まだインターネッツなるものがないぐらいで、「パソコンで書類を作りなさい」となったとき、本来想定されていたのはワープロソフトだったのだが、ワードの使いづらさ…というか日本的文章の作成との相性は良くなかった。なんせ原型がタイプライターなんだ。改行ひとつとってもキャリッジリターンとラインフィードの違いなんて日本語にはない。一行空けるか空けないかだけだ。スペルチェックもない。
が、それを理解できない人が大半だ。紙は不足すれば足せばいいのだ、という考え方からまず理解できない。どうしても学級通信みたいな文書や、枠を作ってからおさめるという文書イメージの思考ルーチンから抜け出せない。まあ「パソコンで作りなさい」と言った人からして理解してないから、書類のスタイルを根本的に変える必要があるなんてことにはまったく思いもしなかっただろう。
で、もれなくオマケで付いてきたエクセルを見た時に表計算という概念が理解できないジジババでも「お、これガリ版用の方眼紙みたいなじゃないか、これで外に枠をつければ枠がつくれるのか。中に文章も入れられるし、方眼の目を細かくすればピタッとそろえた書類が書けるしこれいいじゃないか」となったのは想像に難くない、というかそうだったよ(笑)
これがエクセル方眼紙の始まりだ。
そこから理解しないとこの問題は解決できない。書類とはこうタイプライターのようにシンプルに書いたので結構です、1ページにおさめようとしなくても結構です。なのでそのようにしてください、というところを意識改革しないと。
アメリカの書類とか見ると、ワードで書きやすい。なぜかって、ワードはタイプライターが原型にあるソフトで、向こうの公文書はワープロが普及する前からタイプライターで打たれていたからだ。そもそもHTMLタグだって、タイプライターの書式を記号化したものだよ。例えばこういう感じ。
すげえワードっぽいだろ?
つまり、書類ってのはこういう感じでいいんだ、枠かくな!枠!
ここから教育しないといけない。残念ながら学校教育がこうなっていないので期待できない。
さらに、改革に乗り出している議員がそこに言及しないということは、それを知らない世代なんだろう。なので、うまくルーツにある意識にたどり着けておらず、うまくいかないだろう。