またやぎログみたいなキャンピングカーロマンの犠牲者が…

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一生懸命、クルマなんていらないよ生活で年間60万節約してきたのに血反吐吐くほど、ぜんぶ吐き出した人の事例。

この人、普段は賢くカーシェアを使っているらしい。ならばなおさら、キャンピングカーみたいなものこそ、一週間ぐらいレンタルしてお試ししてから、それでも欲しいと思ってから、買えばいいのに…

今までクルマ嫌い、関心がない、必要がない、賢い生活!からいきなりキャンピングカーが半年生活!家族で!→無茶すぎる

キャンピングカーレンタル料金、オプション料金、割引 | 東京CRC|東京キャンピングカーレンタルセンター

こんなんだってある。10万円ぐらいあれば一週間ぐらいは借りられそう。家族全員で一週間旅行するなら10万円は安いほうだろう。

 

だいたい、これぐらいの困難がある。子供連れならなおさら。

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まあ、家は捨てないみたいなので、そこは問題ないが、暑い寒い、狭い、ドコに停める?は大問題。

 

これが間違いでなかったことは、やぎペイが実践で証明してくれた。

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公道で個人が背負うにはリスクが高すぎるという車の運転練習への嘆きの主張。同情はするが、解決方法はない。

ookichi.hatenablog.com

公道で個人が背負うにはリスクが高すぎるという車の運転練習への嘆きの主張。同情はするが、解決方法はない。

 

運転はもう数十万キロしているが、たとえば免許があるからと言って8トントラックをいきなり運転しろ、って言われたらやっぱり同じように緊張するよ。

ハンドルが真ん中にない

車幅が把握できない

バンパーまでの距離がわからない

これは免許持っていて運転歴何十年でも、慣れないクルマ、8tトラックとか、左ハンドルの大型SUV(まあ、ハマーだが)とか「じゃあ運転して」ってことになったらまったく同じだよ。

じっさい運転する羽目になったこともあるからね。経験からきている。

乗用車の範囲ならまあ大型車といわれる部類でもなんとかなるが、このクラスははっきりいって普段運転にまあまあ自信があっても、初心者にもどって慎重に慎重に運転するよ。その意味では元記事の人の気持ちはよくわかるし、同じだ。

しかし、まあ、これを克服するための「安全に」経験する方法がリーズナブルに世間に存在するか、って言われたらそれはなくて「せいぜい保険だけはしっかりしておけ」ぐらいしかない。教習所を借り切ってダミーカーやダミー歩行者を走らせて練習するなんてことよりは安いだろう。

 

謎ルール

国内でも場所が変わればしょっちゅう出くわすし、都内ですらナビがあっても迷ったり間違えたりはしょっちゅう。このあたりも「慣れ」

慣れ、とは「いっぱい練習してこのような状況に平気になる」ということではない。間違えたり擦ったりしそうになることがあっても「今までなんとか乗り切ってきたから、緊張するけどなんとかなるだろう」という根拠の薄い自信のことだ。

文系理系論は10年前に答えが出ているのだがな…

knanao.hatenadiary.jp

 

文系理系対立論については、10年以上前にこのAAが投稿されており、全て一発で理解できる素晴らしい図である。

 

「文系理系ってこれだろ」

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法学でも経済学でも東大京大ハーバード大レベルになれば数学だってそこらの理系よりできないといけないし、科学や技術も基礎があるから、興味がなくても説明されれば理解できる。そういう意味で「総括的な立場」では高学歴文系はやはり強い。

また、この図のよいところは「歩」が数が多い駒であることには違いないが、将棋で無駄な駒などないということ。やさしさからリーダーシップのあり方まで内包している。

 

最近はPC購入は2万円以下(new 3DS LL以下)を目安にしている。

diary.netank.net

完全に「炎上狙いネタ」がミエミエの逆張り記事だが、値段はともかく、フォントとか安定性とか安全性とか、Macの良さをPRする人に対して、今のWindowsはそんなに悪くないよ、という意味では同意する。

Windowsでも高いPCはいくらでもあるし、そもそもデスクトップだと今のMacはロクな選択肢がない。デスクトップでストレージやメモリをふんだんに安く早く積めず、LAN経由の糞遅くて高いストレージか、外付けケーブルだらけになるだけでも不満だ。タワーMacProカムバーック!

で、

自分は最近、PCは2万円以下しか買わない。

それを考えると、実質WindowsPCの中古しかないわけだが、WinとMacの最大の違いは中古相場のボリュームである。中古PCはリースアップ品が多く、このゾーンにはなかなかMacが降りてこない。

また中古PCはある程度「目利き」が必要で、また「指名買い」は難しい。現品を見てパッと決める、この買い方しか良いものを手に入れられないことが買い物の緊張感を産み、秋葉原での買い物の醍醐味なのだ。何も買わなくても「今これこれはコレぐらいが相場だ」という「相場つかみ」も秋葉原を見る楽しみなのだ。オンラインショッピングではなかなか難しい、店舗回りの楽しみが残っている買い物である。

ただ、お薦めはできない。

相場つかみから始まって、現物を探す時間も無駄だし、確実に買えるわけでもないし(ちょっと「これはいい」と目星を付けていても、戻ってきたらもうなかったとかある。中古ハンターはみな目ざといので)、失敗もゼロではない(殆どないが)そもそもみんながやったら、タマも足りないし、相場も上がるし、ロクなことがない。

 

(身近な)人について、悪口や陰口を(本人の前以外で)言ってはいけません、を こじらせるとこうなる。

anond.hatelabo.jp

面白かった。

以前に書いた「(身近な)人について、(本人の前以外で)語ることは悪である、これをこじらせるとコミュニケーション障害を起こす」と根っこは近いと感じた。この感覚を持っている人がけっこういそうだ、ってことを得心できる増田だった。

 

crode.hatenablog.com

ディスコミュニケーションと正義感は紙一重ということ。「人のことを悪く言わない立派な人間になる」という教えを真に受けると、誰についても「(身近な)人のこと」について語ることが出来なくなる。何を言っても陰口が交じるからね(それは仕方がないことなんだが)

一歩引いて「だれそれさん」のことは言わず、「同学年の人たちは」「クラスでは」「学校として」といった「個人でないエイリアス」にすると、社会を語る的なプラス反転補正がかかり、急に雄弁になる。

だが、それも「学校どうだった?何かあった?」とローカルに迫られると、代理オブジェクトに整理するのが難しくすぐに答えられないため「別に」でスルーするしか無い。

それを長く続けてこじらせると、こうなる。

三池崇史監督は不可能を可能にする男だから重宝される(業界都合的な意味で)

blogos.com

漫画原作の実写化、ジャニタレ、アイドル、三池崇史

原作レイプ駄作映画の「四大元素」となった組み合わせという時点で、まともな映画好きは見ないか、分かっていてネタとして見るか、というのが今の状況だろう。

映画としてはつまらないが、居酒屋談義、床屋談義のネタとしては面白い。

漫画原作の実写化、ジャニタレ、アイドルという三要素が揃った時点で「低予算、役者のスケジュールがない、撮影期間もない」というオマケがもれなくついてくる。これをなんとかファッションアイテム映画に仕上げ、期待値の低い層の無難な消化アイテムとして仕上げる、これがミッションである。

普通、映画を撮りたい人ってのは、そういうのがイヤでクリエイターを志しているのが普通だろう。なのでこんな「結果はわかっているけどクライアントの依頼なのでなんとかメンツ立てて赤字だけは避けてくれ」という作品づくりをわかってやってくれる職人さんは少ない。

だから三池崇史監督しかいない。

いいものを作ることより、納期、経費、仕様を優先してくれる。その条件でいいものを作れる範囲なんか最初から見えている。それでも自分の追求はその範囲内のみにとどめて作ってくれる。

そんな監督だから重宝される。

そういう意味ではほんとうにスゴイ。

見たくないけど。

内容がないのではなく、内容にコミットすると共犯者になるコミュニケーションだから参加できない。

p-shirokuma.hatenadiary.com

非コミュ大好きはてな村に見事に煽りタイトルをぶち込んだだけあって盛大にウケている。

さて、表題の内容がないコミュニケーションだが、実は非コミュ層はあんがい内容がないトークは得意だったりする。本当に内容がないなら無害だからだ。

「いい天気ですね。」「そうですね。」「明日は雨っぽいですよ。傘もってきたほうがいいですかね。」「折りたたみ持ってますよ」

ただこういったコミュニケーションをいくら積み重ねても「無害な人」以上にはならない。小数点以下をいくら掛け算しても大きくならないようなものだ。ゼロにはならないがこの人と積極的に話したい、お近づきになりたい、という目的で無害なコミュニケーションを繰り返すことはあまり有効ではないのだ。

これらで出来るのは「話しかけても大丈夫な人」ぐらいまでだ。シロクマ氏の推奨方法ではたぶんこの部分で止まっている。

さて、ここから先、ウェイ層に食い込む意味でのコミュニケーションとは、有毒なコミュニケーションになっていかなくてはならない。

典型的な例としては「誰かをダシにして話すこと」「ヒトについて話すこと」だ。悪口、陰口とまではいかないまでも「○○さんってさあ」ってところだ。この領域に踏み込むということは「共犯者」にならなくてはならない。多くの非コミュは「言われる側」もしくは「言われているという自意識」にとらわれているので「言う側」に回ることは非常に抵抗がある。この時点でコミュニケーションを離脱する。

だが、ここで入っていかないと「仲間」にはなれない。しかし非コミュ層というのは「人の悪口を言ってはいけません」「人の陰口を言ってはいけません」「人の嫌がることをしてはいけません」という指導を素直に受け、自分がされて非常に嫌な思いをした(もしくはしたと思いこんでいる)のでここで立ち止まる。これ以上行ったら、自分は「悪い側」に落ちてしまう。オレはアイツラみたいにはならない!というプライドと正義感がここで離脱を選択してしまう。

で、「アイツラの話は内容がない(人の噂ばかり)」となるわけだ。

モノ、コトの話、公人に近い芸能人や有名人をダシにしての批評的会話は「してもいいこと」なので抵抗がないが、ごく身近な人物「だれそれさん」をダシにして会話することはものすごく抵抗がある。一方で「共通の知人」以上に会話を盛り上げるダシはそうそうないのだ。なのでメディアに掲載されたモノゴトのみで会話をしようとすると、モノやコトへの造詣が深く興味の気が合う人以外とはなかなか会話が続かない。

実際に内容がないかどうかよりも、「それは人としてすべきではない」という意味で内容がないという表現をする。

では「あいつら」として悪く言うことは悪口ではないのか?個人を指して「だれそれさん」の悪口は言うことは「悪」だが、カテゴリー存在としての「あいつら」にすることによって「だれそれさん」だった個人は存在概念の「モノゴト」に置換される。「モノゴト」についてアレコレ物申すのは非コミュ的には教養的行為であり、「内容がない」会話から、「意味がある会話」へと昇華されるのだ。

「だれそれさん」の話ばかりしている>悪いヤツラがすること>教養のある人間のすることではない>内容がない といった展開なのである。

話の内容が実利的かどうかではない。不正義の行いは問答無用ですべきではないということでシャットアウトされてしまうのだ。ただこの”本来の”は教育が産んだ幻であり、偶像である。

実際には人をダシにする会話には悪口だけが含まれているわけではなく、その人の近況や悩み、良いことも多く含まれており、参加することは実利面からすれば十分あることもある。むしろ、そういう会話をしていないと周囲の人間を良くも悪くも理解することが出来ず、ますます会話に参加できない。「最近○○さん、●●のせいで元気なくってさあ」みたいな近況などもまったく把握できず、声をかけるキッカケもできないし、その人にって重要なことについて会話することも出来ない。

だがある意味では陰口にはちがいなく、それらを会話の中で厳密に分離し、悪口だけをシャットアウト検閲することは不可能である。不可能であるから最初からコミットする訳にはいかない。

ここで断絶が発生しているのだ。

毒をぜんぶ取り除こうとすると、美味しいところも何も口に出来なくなる。それが「内容がない会話ができない」ということの正体だ。